演劇集団和歌山創立40周年記念公演 「幻想列車」

対談・「幻想列車」を語る(演出 山入桂吾×作者 楠本幸男)

■演出を挑発する作品

楠本 たしか一昨年だったか、山入さんが『幻想列車』を演出すると言ってくれて、正直、うれしかった。どうしてこれを演出する気になったんですか。

山入 あまりよくおぼえてないんですが、未上演の作品だし、また、40周年で楠本さんには『太田城の水攻め』を書いてもらわなければならないから、僕が演出すると言ったと思います。その時はあまりよく本を読んでいなかった。ところが(演出を)やればやるほど面白いんです。

楠本 どんなところが?

山入 酒場の場面とか、いろいろとふくらませられるところがある。本が、演出に「さあ、どのように演出するのか」と突きつけてくる。楠本さんは、なぜこれを書こうと思ったんですか。この作品には進歩的歴史観を批判しているようなところもあります。

楠本 これを書いたのは一九九三年。この頃には中国の天安門事件(89年)や、ベルリンの壁の崩壊(89年)、ソ連の解体(91年)と、世界の枠組みを変えてしまうような大きな出来事があった。日本でも国鉄の分割民営化(87年)や、労働界の再編成(89年)があり、進路を大きく変えようとしていた。僕自身もショックを受けたし、価値観や考え方も修正を余儀なくされた。当時の世の中の動きが大きく作品に影響していることは間違いないんだけども、その辺のことは僕はあまりしゃべりたくないんです。

山入 なぜです?

楠本 裸のままの自分をさらけ出してしまうことになる。もちろん、作品を書くことは己をさらけだすことですが、生の言葉で語るのは抵抗があるんです。それと、作品を狭く理解されないかという心配がある。僕はあくまで、時代に翻弄されながらも懸命に生きる人間の真実に少しでも迫りたかった。普遍的な人間を描きたかったんです。


■厳しい時代になって…

山入 楠本さん自身が演出すると言えば、今までに上演する機会もあったと思います。なぜ、「これをやりたい」と言い出さなかったのですか。

楠本 お客さんに受け入れていただけるか自信がなかった。僕はある時期からテーマ主義的な新劇に反発を感じて、自分が作品を書くときも、できるだけテーマや思想が生のままあらわれないよう心がけるようになった。さっき言ったことにもつながるんだけど、労働歌が歌われ、ストライキなどが描かれるシーンに、自分自身も抵抗があったんです。でも、今の地点で考えると、『蟹工船』がベストセラーになり、『沈まぬ太陽』のような映画が封切られる時代になって、このような作品も抵抗なく見ていただけるかなと…。厳しい時代ですよね、今は。

■汽笛の意味

山入 この作品で描かれるのは、戦前から戦後にかけての数年間です。激動の時代ですよね。当時の社会的背景を描きながら人間の真実に迫ろうとしている。その底にはヒューマニズムがあると思うんです。
 決してハッピーエンドでは終わっていないですよね。ラストで、押し殺しても押し殺せなかった重田のヒューマンな部分をだせたら…。重田の仲間への思いは、消えたわけではない。機関車の汽笛が切ないですよね。このような発想はどこから生まれたんですか。

楠本 僕が小さい時にまだ蒸気機関車は走っていた。縁側の自分の勉強机で宿題をしていると、夜の十時頃によく機関車の汽笛が聞こえた。その時、なぜか僕は、今の一瞬、一瞬もすべて過去になっていき、もう決して過去には戻れないんだと、急に切ない気持ちになった。その少年の時の記憶がこの作品につながっているように思うんです。

山入 多感な少年だったんですね。僕はこの作品を読んで感じるのは創作することの大きさです。奥深さというか、物語を紡ぎ出すエネルギーを感じます。このところ連続して数作品演出しましたが、こういう気持ちをもったのは初めてです。作者は、ある意味覚悟を決めてこの作品を書いたと思うんです。

(一月吉日稽古場にて)

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