作・演出/楠本幸男
2006年8月26日(土)18:00〜 松山市民会館大ホール
2006年9月16日(土)14:00〜/18:30〜 県民文化会館小ホール
公演は終了しました。ご来場ありがとうございました。
作・演出 楠本幸男
人力車で自殺者を救うという構想は大分以前からあり、私は8年前に「樹海の宴」という作品を書いた。劇団でもたしか読み合わせたのだが、どうも評判が悪く、上演に至らなかった。その後、書き直し、題名も改め、『厭世廻灯籠』という作品となったが、やっぱり自分でも納得できずそのままになっていた。なぜ人力車で人助けなのか。自分でも分からない。作品の発想は言葉で説明できないことが多い。説明できなくても、いつまでも頭から離れないものが作品となっていく。
東京の高津装飾美術から600キロ、ナビ、リフト、バックモニター付の最新式アルミ枠2トン車で、まるで貴婦人のように、大切に運ばれてきた人力車を見たとき、劇団員は感嘆に近い声を上げた。その無駄がなく均整のとれたスタイル、そして、黒い塗装のなかで、足下の赤い絨毯だけが花を添える、そのシンプルな配色………。しかし、実際の乗り心地は快適とはほど遠かったはずである。今どきの観光地の人力車とちがって、この(大正当時の)人力車にはタイヤというものがない。
今さら人力車の時代に逆戻りしようと言うわけではない。ノスタルジックにこの時代をふり返りたいのでもない。(いや、少しはそういう気もあるかな。)機械文明が必ずしも人間を幸せにしてくれるわけではない、それも言い古されたことだ。しかし、近頃は民間、官庁を問わず改革の嵐が吹き荒れ、合理化が徹底され、過酷に成果が競わされる。しかし、削減された「無駄」とともに、私たちは心のゆとりや働く喜びまでも奪われてはいないだろうか。
日本人の一年間の自殺者は毎年3万人を超える。
大正時代は、モダニズム・デモクラシーの時代といわれた。明治維新以来の近代化によって、世界の強国の仲間入りをはたした。第一次世界大戦を契機に経済も発達してきた。そうした中で労働者を中心に民衆が力を伸ばしてきて、大正デモクラシーとよばれる政治の民主化とともに、大衆文化の花が開き、人々の消費生活も大きく変わっていった。また一方では、さまざまな矛盾も噴出し、社会政策や社会運動が活発となった。
松山は遠かった。朝9時、トラック2台を先頭に計6台で出発し、着いたのは夕方の6時前。
エッ、四国って海の向こうとはいえ、もっと近くなかった?確かに大廻りで行ったよ、休憩も何度かしたよ。でもなあー。となると、やはりあの迷走車か!オイオイ、Kサマ。高速は真っ直ぐばかりじゃないんだよ。たまには曲がれよ!
翌日は、朝から大車輪で舞台作り。みんな汗だくになって働いた。演集がスターシステムでなくてよかった。端役の私が一番楽してたよ。でも、旅公演って大変だなあ。装置も衣装もいっぱい。その上、人力車なんてのもあるんだから。
疲れた頃、大ホールで座付き作家の新作を上演。どうだ!演集はすごいだろ!和歌山はド田舎だけどこんな劇団があるんだぜ、って気持ちだった。
夜の交流会場は狭かった。しかも、またまた、あの迷走車が着かない。
仕上げに道後温泉につかり、一六タルトを買って、エエ旅やったなあと言いながら帰った。10分おきに、後続車がついてくるか見張りながら。
田原美栄