疾風世話人力車

演劇集団和歌山公演『疾風世話人力車』

作・演出/楠本幸男

2006年8月26日(土)18:00〜 松山市民会館大ホール
2006年9月16日(土)14:00〜/18:30〜 県民文化会館小ホール

公演は終了しました。ご来場ありがとうございました。

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キャスト

風神伴次郎
植西一義
お滝
城向博子
浦上芳枝
田原美栄(協力)
三好志摩子
吉井亜弥(あ・ん塾)
上岡隆三
佐古雅哉(協力)
野々山千秋
山下悠生
佐野大介
水口広平
富山弥一郎
城野周三
お京
北本裕子(協力)
菊蔵・浮浪者
岡田 望(劇団 劇光族)
虎三郎・警察署長
得津一也(協力)
女1
樫尾裕美
女2
濱口督子(協力)
女3
芝田紀寿美(協力)
救世軍兵士1
渕上敏史(協力)
救世軍兵士2
田中顕一(協力)
富山穀物店の店員(声)
山入桂吾

スタッフ

作・演出
楠本幸男
演出協力
山入桂吾
舞台監督
植田幸男
舞台監督助手
吉井孝記(あ・ん塾)
装置プラン
楠本幸男
装置製作
演劇集団和歌山
照明
勝本昌宏(協力)
音響
山本真司(協力)
音楽
山下悠生
小道具
城野周三
衣装
城向博子
メイク
樫尾裕美
制  作
鎌田昌信・下崎 浩

ありえない話

作・演出 楠本幸男

 人力車で自殺者を救うという構想は大分以前からあり、私は8年前に「樹海の宴」という作品を書いた。劇団でもたしか読み合わせたのだが、どうも評判が悪く、上演に至らなかった。その後、書き直し、題名も改め、『厭世廻灯籠』という作品となったが、やっぱり自分でも納得できずそのままになっていた。なぜ人力車で人助けなのか。自分でも分からない。作品の発想は言葉で説明できないことが多い。説明できなくても、いつまでも頭から離れないものが作品となっていく。

 東京の高津装飾美術から600キロ、ナビ、リフト、バックモニター付の最新式アルミ枠2トン車で、まるで貴婦人のように、大切に運ばれてきた人力車を見たとき、劇団員は感嘆に近い声を上げた。その無駄がなく均整のとれたスタイル、そして、黒い塗装のなかで、足下の赤い絨毯だけが花を添える、そのシンプルな配色………。しかし、実際の乗り心地は快適とはほど遠かったはずである。今どきの観光地の人力車とちがって、この(大正当時の)人力車にはタイヤというものがない。

 今さら人力車の時代に逆戻りしようと言うわけではない。ノスタルジックにこの時代をふり返りたいのでもない。(いや、少しはそういう気もあるかな。)機械文明が必ずしも人間を幸せにしてくれるわけではない、それも言い古されたことだ。しかし、近頃は民間、官庁を問わず改革の嵐が吹き荒れ、合理化が徹底され、過酷に成果が競わされる。しかし、削減された「無駄」とともに、私たちは心のゆとりや働く喜びまでも奪われてはいないだろうか。

 日本人の一年間の自殺者は毎年3万人を超える。

大正モダニズム・デモクラシーの時代

―経済の発達とともに大衆文化の時代の到来─

大正時代は、モダニズム・デモクラシーの時代といわれた。明治維新以来の近代化によって、世界の強国の仲間入りをはたした。第一次世界大戦を契機に経済も発達してきた。そうした中で労働者を中心に民衆が力を伸ばしてきて、大正デモクラシーとよばれる政治の民主化とともに、大衆文化の花が開き、人々の消費生活も大きく変わっていった。また一方では、さまざまな矛盾も噴出し、社会政策や社会運動が活発となった。

松山公演、迷走のち成功!

第10回全国演劇フェスティバルin松山 8月26日

 松山は遠かった。朝9時、トラック2台を先頭に計6台で出発し、着いたのは夕方の6時前。
 エッ、四国って海の向こうとはいえ、もっと近くなかった?確かに大廻りで行ったよ、休憩も何度かしたよ。でもなあー。となると、やはりあの迷走車か!オイオイ、Kサマ。高速は真っ直ぐばかりじゃないんだよ。たまには曲がれよ!
 翌日は、朝から大車輪で舞台作り。みんな汗だくになって働いた。演集がスターシステムでなくてよかった。端役の私が一番楽してたよ。でも、旅公演って大変だなあ。装置も衣装もいっぱい。その上、人力車なんてのもあるんだから。
 疲れた頃、大ホールで座付き作家の新作を上演。どうだ!演集はすごいだろ!和歌山はド田舎だけどこんな劇団があるんだぜ、って気持ちだった。
 夜の交流会場は狭かった。しかも、またまた、あの迷走車が着かない。
  仕上げに道後温泉につかり、一六タルトを買って、エエ旅やったなあと言いながら帰った。10分おきに、後続車がついてくるか見張りながら。

田原美栄

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