演劇集団和歌山公演

ジンタ懐かしシネマの夜

-築地未来座物語-

楠本幸男・作
山入桂吾・演出

この公演は終了しました。ご来場ありがとうございました。

ものがたり

 時は昭和6年9月、和歌山の活動写真館、築地未来座では、弁士が借金取りからのがれ、とんずら、代わって駒井雷声がその代わりをつとめることに。それに加えて、生演奏をする楽士の一人が、若い娘と駆け落ちをし、代わりをさがすやら、未来座は大騒ぎ。 やがて、全国の活動写真館が、次々とトーキー(声や音楽入りの、現在のような映画)が導入され、未来座もその波に押され、弁士や楽士たちも失業を余儀なくされる。 不況のまっただ中、さて、彼らの行方は………

キャスト

スタッフ

映画と言葉

作者 楠本幸男

 人は、いつ頃から嘘をつくようになったのだろう…。もしかして、言葉が生まれた瞬間から、嘘が生まれていたのだろうか。今日、この複雑な現在社会をスムーズに切り抜けていくため、私たちは平気で心にないことを言う。心と言葉が、しばしば遊離する。

 さて、映画ができた頃、音はなく、生の楽団が映像に合わせて音楽を入れ、解説者が説明していた。ヨーロッパやアメリカにも映画の解説者がいたが、日本の弁士は独自の発展を遂げた。弁士も色々で、なかにはエロ弁士もいて、わいせつな味付けで人気をとったという。弁士が映画から離れて、勝手な解説をすることも多かったのだ。この現象が、心と言葉が遊離した現代人と重なり、私にはとても興味深かった。十二年前にこの作品を書いたきっけだった。

 昭和六年、初の本格的国産トーキー、『マダムと女房』が封切られる。これ以降、トーキーは爆発的に広がっていく。弁士や楽士は職を失っていくのだ。同じ頃、日本は柳条湖事件をきっかけに、中国への侵略をすすめていく。映画が言葉を獲得した頃、日中戦争の拡大とともに、映画の検閲は強化され、人々は心にあることを自由に言えなくなっていった。

おかえり ただいま

演出 山入佳吾

 仕事の都合でここ数年県庁付近を歩く機会が多くなっている。この辺りは街中ながら季節の移り変わりが目を楽しませてくれるところである。春は舞い散る桜の花、夏には匂い立つ緑、秋深く色づく銀杏。そして寒風の中で凛と立つ冬の木立に心奪われる。そんな豊かな自然を味わえる県庁正面に、和歌山の文化の殿堂として40年以上立ち続けているのが和歌山県民文化会館?県文?だ。この2年間はリニューアルのための工事が行われていたのだが、前を通るごとに進んでいる工事の様子を見ながら再開を心待ちにしていた。

 さる4月1日、新年度のあいさつ回りの道すがら県文の前を通った。坂本冬美さんの記念コンサートの開場を待つ人々が会館前の広場や階段に大勢集まっている。その風景は県文があらためて呼吸を始めたかのように私には思えた。巨大な建造物がうれしそうに笑いながら動き出す生き物のように見えた。

 縁あって私達演劇集団和歌山はこの3月に和歌山県・(財)和歌山県文化振興財団主催事業に取りあげていただき、紀の川市粉河ふるさとセンターで『ジンタ懐かしシネマの夜』を上演する機会を得た。そのお返しと言っては何だが、今回は新生・県文に脈打つ鼓動の一つとして劇団の自主公演を行うこととなった。心強い会館スタッフのみなさんからサポートいただき、客演の方にもたくさん加わってもらって、にぎやかに舞台を飾りたいと思う。そして、客席に駆けつけてくださったみなさんとともに県文の再生を言祝ぎたい。

おかえりなさい。そして、ただいま 県文!

あらためまして末永いお付き合い よろしくお願いいたします。

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