ドラマの書き方

第4回 何がドラマか?

ドラマは「対立」で成り立ちます。かといって2人以上いなければならないかというと必ずしもそうではありません。たとえば有名なチェホフの一人芝居、『煙草の害について』は医者が講演するという形をとった一人芝居ですが、結局煙草の害についての話は少しもせずに、奥さんの悪口だけで終わってしまうと言う劇です。この場合は対立する一方は舞台に登場はしないが彼の奥さんと言うことになります。
よく「ドラマティック(劇的)」という言葉を使いますが、どういう事でしょうか。
木下順二は、「人間が人間以上の力と対決する姿」をもっともドラマティックであるとらえ、「ギリシア悲劇の時代には、それは人間が運命と対決する姿であったが、現代は、人間と歴史との対決する姿がもっともドラマティックだ」と言います。そして、戯曲『子午線の祀り』はその戯曲論を見事に作品化した傑作となりました。
さて、テーマが決定し、どういう言葉(方言、標準語)で書くか、そして場面が決定したら次は登場人物です。この時期にはすでにあなたはどういう人物を登場させるかは決めているでしょう。でも、話の展開が行きづまったとき、どうも自分で読み返して納得がいかなかったとき考えてみてください。同じようなキャラクターばかり登場させていませんか?同じような価値観を持つ人物ばかり登場させていませんか?木下順二の言うような「歴史と対決する人間」のような戯曲はなかなか我々には手が出ませんが、戯曲のおもしろさの一つは、異質なもの(人物・価値観など)のぶつかり合うところだと思うのです。複数の人間のぶつかりあいもおもしろい、そして一人の人間の内面にある異質なもの、矛盾したものがぶつかりあうのもおもしろい。私は今のところはこれがドラマだと思って芝居を書いています。

(参考)ドラマではありませんが、漫才は「ボケ」と「つっこみ」の2人の対照的なキャラクターで話が進んでいきます。まあ、近頃の若い人の漫才は、これにとらわれずかなり自由にやっているみたいですが、「ボケ」と「つっこみ」の例は戯曲を書く上でわかりやすいと思います。2人ともボケ、あるいはつっこみになると話がうまく進んでいきません。

(2006.10.8)

第5回へ

inserted by FC2 system