ドラマの書き方

楠本幸男

遅れてきた中年の観劇体験

1月上旬にに東京へ行きました。「演劇会議」という演劇誌の編集委員会があったのです。帰りに下北沢のザ・スズナリに唐十郎の『秘密の花園』という舞台を見に行きました。

下北沢は相変わらず魅力的な街でした。狭い道路に飲食店がひしめき、若者たち歓声を上げながら歩いていく。カラオケ店にの入ったビルの前には、救急車が到着し、若者を運んでいきます。多分、急性アルコール中毒でしょう。駅を出た角には、いつかテレビで見た若者が、3人の中年男性を相手に漫画の読み聞かせをしていました。この寒空のもと、大の大人が何でお金を出してまで漫画の読み聞かせを…と。いや、寒いからこそ人と人とのぬくもりを求めているのでしょうか。その漫画の読み聞かせ屋は、数年前、テレビのビンボーな芸人を紹介するというバラエティ番組で、芸人の「なすび」らと紹介されていました。その時は黒縁のメガネはセロテープで補修してあり、いかにもビンボーといった風情でしたが、この時は、セロテープは巻いてありませんでした。

さて、唐十郎の芝居はなかなかこれがおもしろかったのです。物語はアキヨシという青年がキャバレーの女、一葉を愛し、同棲している。そこへ姉の双葉がやってきて三角関係になり、一葉のひもがやってきて金をせびったり、嵐で舞台が水浸しになって流された後、船に乗った一葉が通り過ぎていくと…

唐十郎の作品はいつもくどいほどのイメージの連続で、しまいにあいてしまうことが多いのですが、今回の東京乾電池による上演は、コンパクトにまとめられていて印象が強く残りました。それと、一つ大きな発見がありました。私は唐十郎の作品を、ばかばかしいと思いながらもつい東京で芝居を見るとなると、和歌山では見られない芝居と言うことで、見てしまうのですが、このばかばかしさこそが実は唐のねらいなのだとわかったのです。唐ファンには「何を今さら」と笑われそうですが、仕方ありません。事実なのですから。高校生の時に新劇の革新性、進歩性にひかれて演劇の虜になり、演劇への愛はブレヒトを知ることによって決定的になり、さらに21世紀の今もリアリズム演劇の道を歩んでいる売れない中年劇作家は、唐の本当の魅力を知るのに長い年月がかかりました。情けない。これじゃ、私の書くものが売れれないはずだわ。

唐の作り出す世界は、昭和のイメージを強くもち、観客は時に強いノスタルジーを呼び起こされます。それと同時に、観客は、ばかばかしいほどあり得ないストーリーや登場人物ゆえに、日常を完全に忘れ、安心して唐のつくりだすロマンの世界に酔うことができるのです。そしてこのうようなばかばかしいこと、つまり、何の社会的なメッセージも持たない演劇、ただただ、音楽、美術、そして役者の肉体が紡ぎ出す「美」のために命をかけて、いや少なくとも生活をかけている人々に共感、感動するのです。

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