演出より

伝えたい言葉、伝えたい人

 紀ノ川平野から峠一つ入ったところで私は生まれ育った。小学四年生までは地域にある分校に通ったが、五年生からは峠を越えて通学した。その通学路の途中に町の斎場に入っていく分岐があった。分岐にはロープのようなものが張られていた。しかし、それ以上に立ち入ってはいけないという雰囲気が、そこにはあった。通学路からは斎場そのものは見えない。けれど、ロープを越えて先に進むことは、まさに死に近づくように思え、その心理が見えないバリアを作り出していたのかもしれない。
 その斎場に初めて行ったのは、いつのことか、誰の葬儀だったかははっきりしないが、白っぽい壁の質素なたたずまいの建物だった記憶がある。おどろおどろしいものを想像していたので、その点では拍子抜けした。けれど、棺が鉄の扉の向こうに収まり火の音が低く響く時、「これで本当に最後なんだ」という厳粛で動かしようのない事実の重みが人々のすすり泣く声と合わせて心に深く入り込んできたように思う。しばらくして骨あげになるのだが、ただ白い骨が灰とともに横たわっているのを見て、あらためて別れを実感したのであった。

 今回の作品は、ある町の斎場が舞台になっている。二人の男が亡くなり、それぞれの家族・親族が最後の別れを迎えようとしている。どちらの死も突然のことだったので、往く方も残された方も伝えたいことを抱えているのだが、その術がない。ところが…。

 ごらんになる皆さんに、伝えらなかった言葉を、そして伝えたい誰かを思い出してもらえる舞台になればと作ってきた。それは、亡くなった人だけではないと思いつつ。

演出 山入桂吾

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