紀州人の、紀州人による、紀州人のための演劇

和歌山市立博物館主任学芸員 太田宏一

 演劇集団和歌山による戦国紀州3部作の第2弾がついに出るという。第1部では「風吹にひびく唄」と題し、戦国末期の根来衆を扱い好評を得たが、今回は雑賀衆を題材としている。

 「雑賀衆」と一口にいっても、その実態は複雑で、一筋縄ではいかない。簡単にいうならば、雑賀荘を中心に、その周辺地域を含んだ現在の和歌山市にほぼ匹敵する地域が広義の雑賀であり、その住人が雑賀衆である。各地域は地縁的に結びついていたが、経済基盤や宗教などが異なり互いに争うこともあった。浄土真宗や浄土宗、あるいは真言宗の信者が多く、本願寺や根来寺と関係を持つ者も多かった。

 雑賀衆は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが「ヨーロッパにおいては富裕な農夫と称する如き者」と例えているように、一地方の住民にしてはかなり経済力があったようだ。農業や漁業はもちろん、廻船業などに携わる者もいた。また、紀ノ川河口部には紀伊湊を擁し、物資の流通が盛んであった。鷺森御坊の近辺には市(マーケット)が開かれ、大勢の人々で賑わったことであろう。いまにも人々の気勢のよい声が聞こえそうである。

 そんななか、大きな転換期が訪れる。元亀元年(1570)から天正13年(1585)にかけては、雑賀衆にとって自分たちの存亡に関わってくる重大な時期であった。このわずかな期間に、織田信長や羽柴秀吉という天下統一をめざす強力な権力者と戦ったのである。大坂本願寺と信長の争乱である石山合戦では、多数の鉄砲衆が参戦し、信長が雑賀を攻撃した際には、雑賀衆の双璧ともいうべき鈴木孫一や土橋若太夫らが信長勢を苦しめた。しかし合戦が終結すると、やがて孫一と若太夫は権力争いや土地の帰属をめぐり竜虎相搏つこととなる。雑賀衆が大きく分裂した時期でもあった。

 本日上演される「黒い鳥」は、このあたりのことを取り上げている。雑賀衆といえば鉄砲衆あるいは鉄の団結、鈴木孫一といえば、強者(つわもの)、鉄砲大将といった勇猛で卓越したイメージがあるが、果たしてそうか。そんな格好のいいものか。歴史をひもとくと、そのなかからは裏切りや仲間内の争いなど血生臭い要素が垣間見られる。「風吹にひびく唄」もそうだったが、今回も史実に基づいてストーリーが展開していく。演劇集団和歌山が行なう演劇は、一般的なイメージを超えた雑賀衆、一味違った孫一像を見せてくれるに違いない。もちろん和歌山の郷土色をそこなわず、面白さも兼ね備えている。シリアスでユーモアのあるシナリオ、そして熟練のなかにも洗練された演技力を持ち備えた団員、まさに鬼に金棒である。そういった意味で今回の演劇は、紀州人の、紀州人による、紀州人のための演劇といえる。日本歴史の舞台で一つの軌跡を残した雑賀衆だが、今日の舞台でも観衆の心に一つの感銘を残すと確信している。

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