ドラマの書き方

楠本幸男

第10回 ラストをどうするか?2

前回に引き続いて、しばらくこのテーマで、名作のラストを振り返ってみましょう。今回はリアリズム演劇の金字塔、三好十郎の『炎の人』です。1951年の作品ですが、たびたび上演された作品で、最近ハヤカワ演劇文庫から出版され、戯曲が手に入りやすくなりました。これは、「ひまわり」などで有名な後期印象派の画家、ビンセント・ヴァン・ゴッホを描いた戯曲。ゴッホは87年に「ひまわり」の絵がオークションで58億円で落札されるなど、今はその絵は法外な値段がつけられますが、生前は1枚しか絵が売れず、弟のテオに生活費の面倒をみてもらっていました。物語は、ベルギーの小さな炭鉱町で始まります。純真な心をもち、炭鉱夫達の貧しい生活に心を痛める宣教師ゴッホは、そこでストライキで闘う抗夫達の力になろうとします。しかし、その行為は教会の怒りを買います。やがて弟のテオの助力のもと、本格的に絵を描き始めるゴッホは、パリで印象派の画家達の影響を受けます。しかし、絵はまったく売れず、絵に対する自信と、世間が自分をまったく認めてくれない現実とのギャップに、ゴッホは次第に精神を病んでいきます。アルルでの、尊敬するゴーガンとの共同生活もほどなく破綻し、自分の愛する娼婦を彼に取られたと思ったゴッホは、自分の耳を切ります。そしてエピローグ。病院で絵を描くゴッホの姿があり、「男」による朗読が続く。朗読は、ゴッホがこのあと入退院を繰り返し、ついには37才でピストル自殺を遂げたことをのべる。そして、ゴッホの絵を認めなかった人々の仕打ちに対して、怒りと、画家への深い同情を一編の詩のように朗読するのです。その「男」、朗読者の声は、戦前、プロレタリア作家として出発し、ゴッホと同じく貧しさのなかで、戦後まで戯曲を書きつづけてきた三好十郎の声そのものなのです。「日本にもあなたに似た絵描きがいた………それらの人々にふさわしいように遇しなかった日本の男や女を私は憎む。ヴィンセントよ!あなたを通して私は憎む。………」「人間にして英雄 炎の人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに 拍手をおくる! 飛んできて、聞け 拍手をおくる!」(幕)

「詩」に昇華されているとは言え、作家の、素材に対する思いが朗読される………これはなんというラストなんだろう。客観的であるべき一個の芸術作品としてはこれはおそらく許されない、「破綻」と言うべきラストではないか。でも感動する。いま読んでも深く感動せざるを得ない、衝撃的なラスト。「戯曲のテクニック」といったものを超越したラスト。これはなんというラストなのだ!

(2012.08.10)

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